〈教育の多様性〉の会
  小貫大輔 vs 古山明男 教育の多様性対談
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  ソ連か幕末か
古山・小貫さん

Date : 2002.12.19
Number : 001

ML ID :
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古山: 小貫さんと私が話をしていると、今の教育システムを、自然に江戸幕府とかソ連とかの末期と比較しているんです。よく似ているなと。じゃあそれをきちんと話してみようかと、今日ここに来たわけなんですよ。小貫さん、どんなところが似ていると思いますか?

小貫: 先日も古山さんといっしょに中教審での意見発表にでかけていった時、中教審の委員長がなんだか幕末の老中のように見えてきて、壇上で一人苦笑してしまいました。会のあとで古山さんに話したら、おかしくておかしくて二人で笑いが止まらなくなってしまった。まじめに仕事をしている人たちをおちょくってはいけないけれど、今日の文部科学省の様は、本当にコミカルなまでに幕末の江戸幕府に似ている。
 12月18日の「NPO法人の可能性」勉強会にみえていた文部科学省の方も、何か幕末に浦賀に派遣されてペリーの使節と折衝しているお役人みたいなイメージがありましたね。[LINK]

古山: そう、老中は、謹厳実直でニコリともしなくて、人柄はめちゃくちゃ良くて、だけど、体制の中でしか模索できない。
 これみんな、すべて共通性を持ってるんですよ。ソ連は官僚支配。官僚が国を全部にぎっている。それから江戸幕府も官僚支配です。特定の仕事からはみ出てはいけない人たちが、国全部を何とかしようとしている。文部省も官僚支配。官僚支配によって衰えていくものを、官僚支配によって、何とか活性化して生き生きしたものにしようとしたのね。ソ連の経済がそう。江戸幕府はもう、毛細血管まで動脈硬化。どちらも、まず行き詰りやすいのは経済です。経済は、柔軟に人々の必要を満たさなければいけないから。江戸幕府は、外交までもそうだったよなあ。
 でもね、ソ連が市民社会を作るとか、江戸幕府が四民平等の世の中をつくるなんて、そりゃ、もとから無理なんですよ。自分の乗っている木を根元から切り倒すという仕事ですから。
 一方、文部省というのは、教育という本来非常に生き生きとしたものを運営しようとした。ところが、何か論理が違うんですよね。官僚というのはきちんとやらなきゃならないわけですよ。
 たとえば、目の前にりんごがあるとするでしょ。子どもだったら「おいしそうー!」と手を出すんですけど、官僚だったら、これは食中毒にならないか、大丈夫か、ちゃんと公平に行き渡るか、先生たちちゃんと配慮しましたか? とか、どうしてもそういうことに考えが行くわけですよね。
 なにかあると、自分の責任になるからね。あらかじめ、「教室の中では、何も食べてはいけない」なんて規則を作って、「これで、子どもが保護されました」なんて言うの。
 それと、前と違うことをすると、なんで今度は違うんだと突っ込まれるんですよね。昨日は食べていけなかったのに、何で今日は食べていいんですかと言われると困っちゃうから、やっぱり「一度決めたことでいきましょう」で前のが続いていく。そうやって、官僚制をやっていると、どんどんどんどん型にはまっていってしまう。だもんで「今日は、子どもが自分で、りんごを食べました」みたいなのが、手柄話になってしまう。それで行き詰まってしまったんですよ。
 でも、教育って、りんごに手を出した子どもに先生が「汚いからだめだよ」って言ったかと思うと、次の日には、先生がいっしょになってりんごにかじりついてる。そんなものですよ。

小貫: 私にとっては、行き詰まるというところが似ているというだけじゃなく、一度ダメだとなったときに、あれよあれよという間に崩れていくさまが似ているんです。こっちを取り繕うと、あっち。あっちを取り繕うとそっち。次から次とぼろが出て、米袋にいくつも穴が開いたようになってザラザラザラーっとつぶれてしまう。

古山: それは、行動する原理をひとつしかもってないからですよ。もともと国家が経済運営をするとか、教育の運営をするなんて、無理なんですよ。あるときは、たしかにうまくいった。それだからというので、ずっと力づくでというか、法律の力でまかり通らせてきたものでしょう。みんなが不満を言えるようになったら、だいたい、それでもう終わり。じつは、とんでもなくプアな発想しかなかったってこと暴露しちゃう。もともと、原理が違うんだもの、官僚制と、教育や経済は。官僚制は新しい力をよびさますことはできなくて、形骸化したものに、つぎ当てを続けるだけです。

 
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