〈教育の多様性〉の会
  小貫大輔 vs 古山明男 教育の多様性対談
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  官僚組織は大工さん
古山・小貫さん

Date : 2002.12.19
Number : 002

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小貫: 教育の形骸化というけれど、まさに官僚組織というのは、形骸をつくるものなんですよね。つまり、形とか制度をつくるために存在してる組織なんです。箱を作るために存在している組織で、中身を作るために存在している組織ではない。

古山: 箱作りだけで存在していればよかったんですよ。確かに文部省がいてくれないとこれだけの学校が全国津々浦々にできなかったしね。先生の数も確保して、貧乏県と豊かな県の差がつかなくて、どこもみんな教育を受けられて。これはもちろん文部省のおかげですよ。ところが、中身の方まで手をつけちゃった。学校教育法と、それにおまけでついてる、指導要領をはじめとするもろもろですね。

小貫: そうですね。大工さんに、家庭の問題にまで関わってもらうようなものです。大工さんだってかわいそうですよ。家の建て方なら知ってるけど、夫婦の問題まで相談にのれといわれてもねえ。お役人は教育の専門家ではない。制度のことはよく知っていても、教育の内容についてまでの能力を問われても辛いだけでしょう。
 もちろんそんなことはわからないから、専門家を集めて委員会を作りいろいろ意見を聞いて、ということをする。けれど、専門家の意見なんてまちまちだから、判断を下すのはやはり役人になる。最終的判断というより、じつは最初のお膳立てから始まる責任を押しつけられている。自分の知らないことについて、国民全員に影響を及ぼす判断をしなければいけない。それは辛いはずだ。

古山: それなりに一生懸命やってるんですけどね。

小貫: 教育や子育てっていうのは、実際にやっているみなさんにはよくお分かりですが、とても大変なことです。時間で測ることのできない時間、言葉で言い表せない情熱をそそぐことが要求される。全存在を傾けて、誠心誠意かかわってはじめて何かが見えてくる。見えてきたかと思うとすぐ見えなくなる。まったく違った側面がたいせつに思えるようになる。限りなくダイナミックな行為です。
 現場を持たない、経験もないお役人が、それを理解せよといわれても、かなわないでしょう。

古山: そう、ダイナミックなものです。それを結局、算数を週に何回教えて、時間の長さは40分か50分で、最終的にテストで何点とっていればよろしいということになる。
 官僚制はぜったい心に立ち入っちゃいけないんですよね。それは、だいたいすでに確立している。あれは命令権限をもっているから、人の内面にまで立ち入っちゃ大変なことになってしまう。官僚制は内面にまで立ち入らない、外側のことだけ触る。
 内面が大事だってことをそれなり理解しているから、中教審なんかで、いろんな理念を出してなんとかしようとする人たちがいる。でも、それを法律にしたり、官僚制にやらせようとするんだから、やっぱり、教育のこと見えてないよね。命令システムでやろうとしているから、おかしくなっているのに。法律は、官僚制以上に、心の問題に立ち入っちゃいけないんだ。 
 官僚制が教育に触れるときは、結局何が何時間というとこを押さえるしかなくなるわけね。
 ところが、ぼくがいくら授業で一生懸命教えても、生徒の耳を右から左に素通りしちゃえば、ぼくは何もしないことになるんですね。それじゃ教師は何もしてない。子どもは、なにもしていないどころか、苦痛なだけ。でも、授業ってのは、ひょっとしたら10分やっただけで、十分な効果をあげているかもしれない。子どもがなにを受け取ったかが一番教育の重要なところで、みんなそれでぶうぶう言っているわけだけれども、そこは、官僚制は触りようがないわけですよね。そこまでお役人が先生に文句を言ったら、先生も立場なくなっちゃうからね。

小貫: さきほど崩壊していくさまが似ていると言いましたけど、ソ連とか江戸幕府の終焉と比べると、文部科学省が統制する教育が今終わろうとしていることは、はるかに小さなできごとです。だから、意外と小さな力で、しかも短期間で、あっという間に崩れていくように思えます。

古山: あっという間だと思いますよ、動き出したら。たとえば、ソ連の時、ずっと見ていて、いったいどうなることやら。これから先、内乱、流血、何年かかって、どれだけの血が流れるかと思っていたら、なんとも、あっけなかった。結局、体制を支える人たちがいなかったんですね。体制派がなぜ体制派をやっているかというと、お役人だから、やらざるを得ないという理由。それから、また、そこで地位を得たり、利益を得てる人たちも体制に続いてほしい。でも、その体制がだめだということが見えたら、もう、さっさと乗り換えますよ。
 ふつうの人たちは、権限もっている人たちに歯向かっても碌なことがないし、今はこういう世の中だからそのように生きていく。どういう社会だって多数の人の生き方は、それがあたりまえでしょう。人生の局面、広いわけだし。世の中が変わりそうなら、こんどは、そこについていく。
 ソ連末期に「社会主義はすばらしいんだ、これが人間の理想に導いてくれる」なんて思っている人は、世の中にいやしない。とにかくそれが現実だからやっているだけ。つまり支える人がいないんですね。

 
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