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Created by Masashi Satoh | 11/23/2025

  • 本記事は機械翻訳のための原稿として作成しました。そのため、日本語としてはやや不自然な表現となっている箇所がありますこと、ご了承下さい。
  • 上記の理由およびわたし自身の考えから、日本で一般的な「シュタイナー教育」は「ヴァルドルフ教育」で表記を統一しています。
  • タイトルイメージの出典は以下の通りです。
    Lokilech at German Wikipedia, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

はじめに

わたしたちは、リレーによる加算機づくりに取り組むことによって、コンピュータの基本的な仕組みや情報伝送の基礎を生徒たちとともに学びました。

この学びが冷え固まらぬうちに、間髪を入れずにインターネット技術の基本の学びを取り上げます。なぜなら、インターネット網をつないでいるものすごい数のノードの中で、たった今学んだばかりのコンピュータたちが日夜たゆまず情報を伝達しているというイメージを、生き生きと生徒たちが思い描くにふさわしい機会だからです。

多くのヴァルドルフ学校の子どもたちは、少なくとも高等部以前には、コンピュータを初めとする様々な電子メディアに触れずに学んできたことでしょう。それは家庭においても、少なからず踏襲されているはずです。

そのような純粋な心の奥底に届く教授法として、ヴァルドルフ教育の「人間中心主義」的な手法を最大限に活用するのです。もちろん、この手法は、すでにメディアに触れてきた子どもにも通用します。大人にも。

それにふさわしい優れた教材をここで紹介します。それはフランス人クロード・シャップが開発した腕木通信システムです。

最先端の技術を学ぶのに、なぜそんな歴史的な遺物を取り上げるのかといぶかる向きもあるでしょう。しかし、クロード・シャップが実現したネットワーク網の仕組みを知れば、まさにそれが現在のインターネットの仕組みを人が代わりに行うことで実現したものであることがわかるはずです。そして、これが人の働きで働く仕組みであったことが、学びの鍵となります。

ナポレオンが見たインターネットの夜明け

フランス革命時代のインターネット技術

では、私たちの物語を始めましょう。

まず、これを見てください。これは何でしょうか? アンテナでしょうか。いえ、違います。

この塔には両側に窓があり、中に人がいて、両窓にそれぞれ向けられた望遠鏡を交互に覗いているのです。

同じ室内には、ふたつのハンドルを取り付けた滑車装置があり、このハンドルを動かすと、その通りの形に屋上の腕木がポーズをとるのです。

じつは、この等は数キロメートルおきに点々と設置されていて、どの塔にも同じ装置があり、同じように人が配属されているのです。

中の人は、隣の塔の腕木のかたちを常に注視しており、隣の腕木が動き始めると、すぐに自分の塔の腕木が同じ形になるよう操作します。そして、反対側の塔の腕木が同じように応答するのを待ち、ふたたび先の腕木の動きに注意を向けます。

このような手順を繰り返すことで、バケツリレーのように情報が伝わっていく装置だったのです。

うっかりすると気づきませんが、この装置は光通信技術を用いています。事実、驚くべきことに、この装置を使った通信は、音速の3から5倍の速度で遠地に情報を届けることが可能でした!

さらに驚くことに、この装置による通信は暗号化されており、エラー訂正能力を備え、アドレスを指定して目的地に確実に届けることができ、情報の衝突回避プロトコルを備えた双方向通信が可能でした。まさにインターネットを先取りしたような技術が、革命時代のフランスに忽然と姿をあらわしたのです。

クロード・シャップ

それは、1789年のフランス革命とともに始まりました。

クロード・シャップは、1763年12月25日にフランスのルマン近郊の村に生まれました。叔父にフランス科学アカデミーの会員だったジャン・シャップがおり、天文学や地図の専門家として名を成していました。

叔父が聖職者となった後に科学の道を歩んだように、シャップも人生の初期に神学を学び二つの小さな修道院に配属されました。

革命前のフランスでは、聖職者の身分は生涯の生活を保障するものでしたが、そこに革命が起こります。革命により聖職者は国家に帰属する立場となり、従来の既得権はすべて剥奪されてしまったのです。

20代半ばのシャップは、ここで人生計画を大転換します。以前から関心があり、研究を続けてきた電気の知識を使って、新しい通信技術を開発しようとしたのです。しかし当時の電気科学は未成熟で、早々にシャップはこの方法を断念してしまいます。シャップは電気の代わりになりそうな様々な手法を試した末、手旗信号に似た手法による通信システムにたどり着きました。

その構想が具体化すると、革命政府の議員になった兄を通して、議会に働きかけ、この通信装置の公式実験をするよう申し入れました。

実験の成功

申し入れはしばらく塩漬けにされたものの、慧眼をもつ要人に見出され、1793年に実験が実現しました。このときまでに、シャップは、装置の機構を設計してくれる支援者を見つけ、着々と装置の開発を進めていました。その支援者とは、高名な時計職人のアブラアン・ルイ・ブレゲでした。

ブレゲは当時、懐中時計の自動巻き装置ペルペチュエルや振動でも狂わないパラシュート機構など、次々と革新的な時計技術を実現して、時代の寵児となっていました。貴族たちは競ってブレゲの時計を求め、マリー・アントワネットもその例にもれなかったと言います。

シャップとは父と孫ほどもの年の差があるブレゲですが、シャップの依頼を受け、すぐに新機構の模型をつくって提供します。

この模型にもとづいてシャップはこの装置を実験場に組み立て、公式通信実験の本番に臨みました。

実験は、パリ北西のベルヴィユ、エクアン、サン・マルタン・ド・テルトルの3か所に装置を建設し、約25Kmの距離を結んで行われました。1973年7月1日16時26分、科学者や法律家による政府の委員が立ち会うなか、実験開始。シャップが詰めているベルヴィユの通信所の腕木が動き始め、やや遅れて15Km離れたエクアンの腕木が動き出す。ここからは見えないが、その信号がさらに10Km離れたド・テルトルに伝わり、約11分をかけて次のようなメッセージが送られました。

「(委員の)ドヌがここに到着した。そして彼は国民公会がたった今、公安委員会に対して代理人の書類に承認する権限を与えた、と言った。」

次に、ド・テルトルからメッセージが送信されます。「この美しき国に住む人は、敬愛すべき国民公会とその法による自由を享受するにふさわしい。」

いずれのメッセージも委員によって、間違いなく送信されたことが確認され、二週間後には議会に実験の成功が報告されたのです。

最初の大きな成果

こうして、腕木通信の最初の区間として、パリとリールをつなぐ200Kmの通信線が1年かけて敷設されました。周辺諸国から攻め寄せられていた革命政府のフランスにとって、ベルギーの国境と接するリールは重要な拠点だったのです。

そのリールから135Kmほど西に、ベルギー領土に深く入り込んだコンデの要塞があります。当時、この重要な要塞がオーストリア・プロイセン軍の手に落ちており、攻防戦が繰り広げられていました。

1974年8月、議会の演壇上で、腕木通信から届いたばかりの書類が読み上げられます。「ここにたった今届いた腕木通信による報告がある。コンデが共和国により奪回された。」

議場内にどよめきが起こり、「共和国万歳!」の叫び声と万雷の拍手が鳴り響きます。それが少しおさまったところで、「敵の降伏は今朝6時」。ふたたび喝采と拍手が起こり、しばし鳴り止みませんでした。

議会はその場で、コンデを「自由なる北方」と呼び、勝利を収めた軍人たちを「母国の恩人」と呼ぶことを決議しました。その決定はただちに腕木通信でリールに送られます。しばらくして、「議長殿、メッセージがリールに届いたとの返信を今受け取りました」との報告をシャップが届けました。

この成果は、議会の腕木通信システムへの評価を決定的なものとしました。今まで何日もかかった情報がまたたくうちに手元に届き、しかも双方向でやりとりできるのですから!

政府は全土への敷設を決定します。そして、5年あまりにして、全長1,426Kmにおよぶ腕木通信システムの通信網が忽然としてフランス全土に姿を現したのです。

やがて、政権を奪ったナポレオンもまた、腕木通信の価値を認め、通信網をさらに広げ、大いに活用しました。数々の戦争での勝利を彼にもたらした要因のひとつに、腕木通信の活用があったかもしれません。

イタリアを手中におさめた権力者ナポレオンは、アルプス山脈に阻まれて難航する設置工事を知りながら、「できれば15日以内にミラノとパリが通信できるようにしていただきたい」と指示します。トリノとミラノ間の路線は、標高2,000メートルの高地を越え、2年の歳月をかけて完成したのです。

シャップの苦悩と死

腕木通信システムは大成功を収めましたが、クロード・シャップは順風満帆とは行きませんでした。シャップの成功を妬む、多くの敵対者が現れたのです。そのなかには、彼の助力者だったブレゲがいました。

貴族たちとの絆が深かったブレゲは、革命後、命の危険を察知して故郷のスイスに逃れていました。やがて、ロペスピエールの処刑で恐怖政治が収まり、ふたたびフランスの土を踏んだブレゲの前に、フランス全土を結ぶ腕木通信網が広がっていたのです。

それを見たブレゲは釈然としない思いを抱きました。この装置を設計したのはわたしなのに、若造のクロード・シャップが英雄に祭り上げられていると。

そこで彼は、同様の通信装置を考案したスペイン人と組んで政府に売り込み、シャップを追い落としにかかりました。

しかし、ブレゲの思いは誤解に過ぎません。ブレゲが作った機構は確かによく機能しましたが、腕木通信システムの本懐はむしろ、システム全体を統制するルールや運用の仕組みにあり、それらの基礎を作ったのはすべてシャップなのですから。

最終的には、シャップのシステムが全土に広がることになりましたが、彼ら以外にも、シャップにアイディアを盗まれたという人物が多数現れ、心理的に追い込まれたシャップは投身自殺をしてしまいます。1805年1月23日。その後、フランス全土に広がっていく通信網を目撃することなく、彼は世を去りました。

クロード・シャップの功績

先に述べたように、クロード・シャップの功績は、腕木通信システム全体のプロトコルや運用ルールを構築し、インターネットとほぼ同様の仕組みにまで完成させたことにあります。

パリを中心に、放射線状に張り巡らされ、枝分かれしていく通信網のなかで、届けたい送信先に確実に届くように、通信文にはアドレス情報が付与され、分岐点の中継局ではアドレス情報に基づいて目的の地点につながる経路へと送信されました。これは現在のインターネット網を支えるルーターの働きに相当します。

また、腕木の動きは誰の目にも明らかですから、平文のまま情報を送信すれば公文書の内容が傍受されてしまいます。そのため、文書は、専用の単語帳によって数字に置き換えられ、暗号化されて送信されました。この暗号は、中継局の操作手にも知らされていませんでした。彼らはただルールに従って腕木を操作していたのです。

腕木通信は双方向通信が可能でしたから、通信網の両方から情報が届く可能性があります。このような場合に備えて、通信には優先順位を示す符号が付けられており、それに基づいて衝突が回避されました。双方の優先度が同じだった場合は、パリを起点とした下り方向が優先されました。現代のインターネット技術でも、低層のレイヤーには同様の仕組みが組み込まれています。

この他にも、エラー訂正の仕組みなども備えており、腕木通信システムの全容はまさにインターネットそのものと言えます。

このようなシステムが、塔の中に詰める人々の労働によって動作していたのです。

操作手の仕事

初めのうち、操作手は退役軍人が採用されましたが、次第に、中継局の周囲に済む未婚、または子どものいない男性が採用されるようになりました。(理由はわかりますね。)

操作手は2名による交代制で仕事をしました。中継局の階下で一夜を過ごした担当者は、夜明け前に朝食を済ませ、腕木の操作室に上がり、定位置につきます。周囲が明るくなり、双方の中継局の腕木が視認できるようになると、操作手の仕事が始まります。

公文書をやりとりする責任ある立場であることから、休憩時間以外の中座は許されず、ルールに違反した者には罰金が課せられました。

やがて昼になると、交代の操作手がやってくるので、彼は仕事を終えて帰宅しました。ここからは、もうひとりが日没までこの仕事を担当し、中継局に一泊して翌日の昼まで仕事を続けるというわけです。お疲れ様です!

日本では、この歴史的技術について詳細にまとめられた優れた本-『腕木通信-ナポレオンが見たインターネットの夜明け』(中野明著,朝日新聞出版社刊)が出版されています。この授業を実践される方の必読書です。

Reference Materials

現代のインターネット

以上のような物語を、教師はできるかぎり生き生きと語らなければなりません。生徒たち自身が、狭い塔の中で苦労の多い、しかし責任ある仕事をしているように感じ、シャップとともにスリリングな公式実験の場に立ち会い、コンデの要塞の奪回に湧く議場をともにし、ナポレオンの暴君ぶりに苦笑し、心迷わせるシャップの心情に寄り添うのです。

そのほかにも、腕木通信を巡る物語は魅力的なエピソードが尽きません。腕木通信が音速をはるかに超える伝送速度を誇ったこと。霧に弱かったこと。パリのメインステーションの腕木が私たちがよく知っているルーブル宮の屋根にそびえ立っていたこと。当時、すでに巧妙なネット犯罪が起こっていたこと、そして、意外なほころびから犯罪の秘密がばれ、犯人がお縄を頂戴することになった話などなど。

物語の世界に生徒が入り込んだところで、先生は黒板の上に、インターネットを模したネットワークを描いて見せます。そして、線と線の交点にあるノードが腕木通信システムの中継局に相当し、人間の代わりにコンピュータがその仕事を引き継いでいることを話します。ノードとノードをつなぐ線には、電信実験で見たそのままの仕組みで0と1の信号が行き通っています。

このように、生徒たちは生き生きとした体験から引き出されたイメージを通して、インターネット技術のなかにダイブするのです。

ここからは、黒板上で、ごく簡単にインターネットの仕組みを語っていきます。インターネット網の末端には住所番号が振られており、中継局はその概略を把握しています。

情報の送り手は、情報の本体に宛先と差出元の情報を加えて、ネットに送り出します。それを受け取ったルーターは、宛先を確認して、適切な経路を選択します。そして、それが何度も繰り返され、目的通りの相手に届けられるのです。塔の中の操作手がやっていた仕事と同じです。そして、これが電子メールのシンプルな仕組みです。

大きなサイズの情報は、細かく分割され、パケットと呼ばれるまとまりごとに送り出されます。こうすることにより、特定の通信がいつまでも経路を占有することなく、大勢の人が経路を共用することが可能となります。

ときにはパケットの順番が入れ替わって届くこともありますが、パケットには送信時に序数が振ってあり、受け手がその順番通りに組み立てれば元通りの情報が入手できるという仕組みです。

インターネットの端末には、大容量のメモリー(すでに生徒はその仕組みを知っています!)を備えたサーバーと呼ばれるコンピュータがつながっていることがあります。たとえばホームページのサーバーなどです。Aさんが特定のホームページを見たい場合には、Aさんはそのホームページの住所にリクエスト信号を送ります。それを受け取ったサーバーは、指定されたホームページの情報をメモリーから読み出して、Aさんの住所を宛先にして送り返します。Aさんはそれを受け取り、組み立てて、自分のコンピュータの画面に表示させて見ることができるわけです。

掲示板システムやSNSは、この仕組みに加え、サーバー内のメモリーの特定の場所に、第三者が情報を書き込めるようにしたものと言えます。

時間があれば、さらにいろいろなサービスについて話すこともできるでしょう。生徒から出た質問に答えるかたちで、説明するのもよいでしょう。しかしながら、基本は、ここに述べた程度でよいのです。なぜなら、彼らはこれから実際のインターネットに触れるのですから。

疑似インターネットワークショップ

締めくくりに、インターネットの黎明期にわたしたちが夢見た理想を示し、それが現状でどうなったかについて話します。

ここで、机を片付けて椅子を丸く並べて座り、全員が対面して座ります。そして、柔らかいボールを取り出して、こう語ります。

「この10日間で、君たちは力をあわせ、大きな計算機を完成させました。それは、あと一歩でコンピュータになるような、そんな自動マシンでした。そして今日、フランス革命の時代に、すでにインターネットの仕組みができていたことを学びました。その中継局の石の塔のなかで働いていた人々の仕事を、今は小さなコンピュータが担っています。このインターネット技術のおかげで、わたしたちは世界中の人と、瞬時に情報を交換することができるようになりました。」

「この丸い輪は地球です。私たちは丸い地球の上に暮らす様々な国の人々です。では、ひとりひとり順に、自分の好きな国の名前を重複しないように言ってください。」

様々な国の名前を生徒が言っていきます。言い終わったら、ボールを示して言います。

「このボールはインターネットを飛び交うパケットです。では、わたしはこれから自分の国の自己紹介をパケットに託して、目をあわせた国の人にこのボールを投げますから、受け取ってください。その人はわたしのすることを繰り返して。」

そしてボールを掲げながらメッセージを述べます。

「わたしは、日本人です。わたしの国を代表する花は桜です。」

アイキャッチを送った相手にパケットを投げます。受け取った相手は、これを繰り返します。

受け手がボールを落とすこともありますが、受け手が拾おうとしたら、止めます。

「いま、エラーが起きて、パケットが届きませんでした。エラーが起きたら、同じ情報を再送するのでしたね。」

このようにして、地球上を、様々な言葉が行き通う様子をイメージします。

ひととおり回ってから、ボールを引き取り、言います。

「このような素晴らしい世界を、インターネット黎明期の人々は夢見たのです。自由で、垣根がなく、平等で、民主的なネット空間が生まれると。しかし現実は、その通りにはなりませんでした。むしろ、目指した方向とは逆の状況さえ生まれています。それがなぜなのか、どうしたらそれを克服していけるかを、わたしたちは考え、実行していかなければならないのです。」

そして、いくつかの事例を語り、可能なら小さなディスカッションを行います。(事例については、参考資料をご覧下さい。)

いろいろなやりとりがあるでしょうが、次のような要点はおさえておくとよいと思います。

「自動車が発明された時代には、自動車の存在を考えに入れた交通法規はありませんでした。その後、多くの交通事故犠牲者が出て、人は学び、ルールをつくることで安全に車を走らせることができるようになったのです。車に乗るためには、教習所に通い、安全な運転の仕方と交通法規を学び、それを遵守する能力があることを証明する必要があります。」

「現在のインターネットは、自動車が野放しで走っていた時代に似ています。人々のプライバシーや権利が危機にさらされても、その状況をコントロールするための手段があまりにも未整備なのです。」

「いずれ皆さんも毎日のようにインターネットを使うことになるでしょうが、ネットの世界が不完全な世界であることを理解し、いざというときの備えをしておく必要があります。いちばんよい備えは、インターネットやコンピュータによく通じた信頼できる人を見つけておくことです。なにかあったら、自分で解決しようとせずに、すぐにその人に相談しましょう。」

「見てきたように、コンピュータ技術は人間の自由に介入してくる可能性が高い技術です。ネット上ではそれが巧妙に行われます。プロファイリング、マイクロターゲットといった技術を使って、人間の無意識に働きかけてその人の行動様式や考え方をコントロールするのです。」

「日本の憲法では、個人の思想信条や良心の自由が保障されています。立憲主義という考え方があり、弱い立場である個人を国家などの大きな権力を法律で縛り、護ろうという考え方です。」

「戦時中、戦争に反対する言説を口にしただけで警察に連行され、拷問を受けた時代がありました。立憲主義は、このような権力の暴走を法の力で止め、内心の自由を護ろうとします。しかし今、インターネットによって、人々の内面が操作される危険が大きくなっているのです。現代の欧米や日本の場合、人々の内心の自由を侵す巨大権力は企業です。この新しい状況下において、立憲主義の適用範囲を広げて個人の内心の自由を護るための新しい『デジタル立憲主義』を確立しようという議論がなされています。自動車と違い、国境を越えて広がり、桁違いの複雑さをもつインターネット技術を統制することは非常に困難です。だからこそ皆さんには、そのような大きな議論にも関心をもちながら、インターネットの大海原にこぎ出してもらいたいと思います。」

おわりに

ここまで、実物のインターネットを一切使わずにインターネットの学びを進めました。先生が真剣にこの授業に取り組めば、生徒たちはこの授業の価値を理解します。実際、次のように語った生徒もいます。「パソコンにまったく触れずに、このように学べたことがよかったと私は思います。」

先生方にはぜひ、PCをネットに接続する授業の前に、社会のなかで、一人ひとりの個人が、それぞれの領域でどのような価値を生み出し、それをどのように他者と交換しているのかに目を向ける時間を十分にもっていただきたいと思います。

お話の創作、誕生日のお菓子、パン作り、家づくり、野菜づくり、外国語の文通、クリスマスオーナメント、ヴァルドルフの活動を振り返るだけで我々はなんと豊かな価値をそこに見いだすでしょうか。

インターネットとは、そのような人間が創造する価値の交換のための技術であることを、教師が自明のこととしておく必要があるのです。

ヴァルドルフICTカリキュラム-インデックス
  1. ヴァルドルフ/シュタイナー教育におけるICTカリキュラムの骨格を形づくる
  2. The History of Computers(Currently being produced)
  3. リレーによる加算機回路製作の詳細
    1. シーソーによる論理素子
    2. クロックとメモリー
    3. Learning about telegraph equipment(Currently being produced)
    4. シーケンサーについて
    5. About the Battery Checker(Currently being produced)
  4. インターネット
    1. インターネットの世界で起こっていること
  5. Learning Data Models(Currently being produced)
  6. Learning Programming and Application Usage Experience(Currently being produced)
  7. Human Dignity and Freedom in an ICT-Driven Society(Currently being produced)
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