作品

上演作品をご紹介いたします。

第3公演/東京公演

第一部

A.コレッリ アダージョ

この曲は、美しい和音から生まれる旋律が、光と闇の間を行き来しながら流れていく。

世界の何ひとつ、光と闇、そのどちらかにとどまり続けることはないように。

詩人岩崎航の最初の詩は、深い闇の中で始まる。それに続く4つの五行詩、お日さまEcce Homoそしてニムロッドに至るまでの軌跡は、闇から光への軌跡と言っても良い。その軌跡はこのコレッリの短い音楽作品に予感されるだろう。

岩崎航 五行詩より

― 岩崎航 五行詩に寄せて ―

病の中で懸命に生きておられるその一瞬一瞬から、一つまたひとつと生まれてきたことばたち。

一つの言葉の奥に、海のように深く広く濃密な力が渦巻いているのを感じます。その力が、私たち一人ひとりの、それぞれの人生の今に、切実に響いてきます。底知れぬ沼のような深淵のその先には、果ての無い宇宙の闇が広がっているかのよう。しかしその闇は、決して昏くない、透き通った光に満ちているはず。

オイリュトミーの動きを通して、その光を感じ取れたら、そして観て下さる方々とその体験を共にできたら、そう願いながら練習に励んでいます。 

(作品監督:松山由紀)

呼んでも
呼んでも
答えがないような
真夜中の
悲しみと、話す

2

どんな
微細な光をも
捉える
眼(まなこ)を養うための
くらやみ

3

押し寄せる波を見抜け
この空(むな)しさは
おそれは
疑心は
生きた心を沈める怪物

4

胎生期に 既に
この宿命(ほし)は
刻まれていた
それ 昏(くら)きものか
いや 輝くものに

5

太刀を抜け
太刀を抜け
今 太刀を抜け
生命(いのち)の奥座敷に
据えてあるはず

*著作者の許諾を得て掲載 ©岩崎航
*出典
 1、3、5:詩集『震えたのは』
 2:詩集『点滴ポール 生き抜くという旗印』
 4:エッセイ集『日付の大きいカレンダー』

G.v.スペー おひさま
ライアー「日の出の時の朝の礼」トビアッセン作曲

シュタイナー教育の学校や幼稚園の子どもたちは、きっと歌ったことがある歌でしょう。「金色」と歌われる事が多いかもしれませんが、ドイツ語の原詩は「銀色」となっており、作品では「銀色」に取り組みました。

やさしい言葉遣いで、誰にでもイメージできる詩でありながら、人類への祈りが込められているような内容にも思えます。

(作品監督:岩重七重)

お日さまが 顔を出し
暗闇を 照らす
銀色にかがやく 朝の光よ
わたしの 心に 小さな火が 灯る
誰にも消せない ともしびと なれ

E.エルガー 「ニムロッド」エニグマ変奏曲より

ニムロッド(Nimrod)は管弦楽「エニグマ変奏曲」の中の、9番目の変奏曲です。

「エニグマ」とは「謎」という意味、変奏14曲それぞれには、謎めいたサブタイトル〜イニシャルや人名、愛称など〜がつけられており、それらはエルガーの知人を示しています。

「ニムロッド」とは、エルガーの親友でありよき理解者でもあった、A.イェーガーの愛称であると言われています。

曲中に何度も現れる下降の音程は、聴く者を「慰め」という気分で優しく包んでくれるかのようです。かつて友人イェーガーに慰められた時のように…

この曲は5人のオイリュトミストによって演じられます。5は薔薇科の植物の秘密の数字であり、そして薔薇は人間の真心、愛の象徴でもありますね。

小さな薔薇が蕾を膨らませ香り立ち、やがては愛と真心こそが、この困難な時代を生きて行くための希望の光となって行く…そんな願いを込めてみました。愛あるアンサンブルをどうぞお楽しみください。

(作品監督:幸田朋子)

R.シュタイナー 人というもの(Ecce Homo)

人は、様々である。その一人一人の違いが、時には多様性の強みとなって共働による素晴らしい創造へと向かい、時には乗り越え難い壁となって人と人の間に軋轢や摩擦を生み出す。世界には今も宗教や思想の違いによる紛争が絶える事がない。

しかし、「人」である限り、その心には様々な思いが溢れ、その頭には幾多の考えが閃き光る。そしてその思いや考えを世に問うべく、人の手足は動き続ける。

民族にも、性別にも、年齢にも関わりなく存在する、この「人」の姿を、ルドルフ・シュタイナーは七行の箴言に見事に昇華させた。(原詩はドイツ語)

こころの なかに おりなす 思い
あたまの なかに 輝く 考え
手足に みなぎる 意志の力

おりなしつつ 輝く
みなぎりつつ おりなす
輝きつつ 力みなぎる

これが 人

「〜にもかかわらず生きる人間〜」をテーマとする「にもプロジェクト」の上演作品の中で、唯一ルドルフ・シュタイナーによる作品である。衣装や照明の色もそして空間フォルムも彼によって与えられた。

多様な色彩とシンプルなフォルムの中に、オイリュトミーの動きによって現れてくる永遠の「人」の姿を体験していただければ幸いである。

*ちなみに新約聖書「ヨハネ福音書」における原題の「Ecce Homo」は、「この人を見よ」と訳されている。

(作品監督:吉野一恵)

第二部

A. ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 作品95「新世界より」 全楽章

にもオーケストラオイリュトミープロジェクトの「新世界より」全楽章への取り組みは、コロナ禍での全体練習中止ということがなければ起こらないはずであった。しかし、結果としてそうなったことは、とても運命的なものを感じる。

1924年に初めてオーケストラオイリュトミーが取り組まれた後、1960年代スイス・ドルナッハの舞台グループは、新世界より第2,3楽章に取り組んだ。80年代にも再演されている。2003年よりドロテア・ミアーが第4楽章を取り組み始め、2005年の北米巡業公演においては第1楽章をオーケストラのみ、そして第2楽章から4楽章までをオーケストラとオイリュトミーで行った。

巡業公演ツアーが終わった後に、演者からのリクエストにより第1楽章が取り組まれ、その後第1楽章のみ小規模なかたちでお披露目があった。

今の私たちの取り組みは、そんな歴代のオイリュトミストたちが熱をもって取り組んだ、その土壌の上にある。

全楽章をオイリュトミーでなされるのは、世界初であるが、オイリュトミーの究極の形であるオーケストラオイリュトミーと「新しい」世界への思いは、当初からあったに違いない。

全楽章の取り組みは、時間がとてもかかるものであったが、メンバー一同この日本でもっとも演奏されている有名な交響曲を骨の髄まで体験し、そしてまるで自分の身体のように感じている。

(総合芸術監督:小林裕子)