オイリュトミー

オーケストラによるオイリュトミー

オーケストラによるオイリュトミー舞台上演プロジェクト

管楽器は人間の頭を通して体験される音楽の表れです。

弦楽器は胸を通して体験され、特に腕で表現される音楽を生き生きと表します。

打楽器あるいは弦楽器から打楽器までの楽器は、人間の三つ目の要素である四肢を通して体験される音楽を表します。

弦楽器が和声と関係しているのに対して、あらゆる管楽器はメロディーととても密接な関係があります。そして打楽器に関連するものはより内的なリズムを持ち、リズムと親和性があり、その中には人間全体がいます。

そして、オーケストラは、ひとりの人間です。

ルドルフ・シュタイナー『音楽の本質と人間の音体験』

20世紀初頭にルドルフ・シュタイナーによって創出された舞台芸術、オイリュトミーは、主に、〈言葉のオイリュトミー〉と〈音楽オイリュトミー〉によって構成されます。

〈言葉のオイリュトミー〉は、人が語り出す言葉が内的にもつ法則と力を、身体の動きによって表出します。

〈音楽オイリュトミー〉は、音楽として人間が内に体験するものを貫く、リズム、タクト、ピッチ、インターバル、メロディーなどの音楽的法則を、体験をともなう身体的動きとして表出します。

ルドルフ・シュタイナーは、このように見えないものを芸術的アプローチによって動きの中に可視化するオイリュトミーを、表現主義芸術の究極の到達点と考えていました。

にも プロジェクトは、この未来の芸術を担う日本のアーティストたちが一同に集い、音楽オイリュトミーの集大成とも言えるオーケストラによるオイリュトミー舞台公演をそのゴールとして、それを〈見て〉くださる多くの人々と、ともに創り上げていくプロジェクトなのです。

世界で初めてのオーケストラによるオイリュトミーの試み

オイリュトミー草創期を経験したオイリュトミスト、エレーナ・ツコリーの著作『最初のオイリュトミーシューレでのトーンオイリュトミーの学び/シュトゥトガルト1922-1924』(“Aus der Toneurythmie-Arbeit an der ersten Eurythmie-Schule in Stuttgart 1922-1924″)に、初めてオーケストラによるオイリュトミーを試みた時の記録が残されていますので、ここに紹介いたします。

1923年ヘドウィヒ・ケーラーのもとで、オイリュトミー学校内で初めてオーケストラ作品(ブルックナーの交響曲第8番)がオイリュトミーによって試みられました。

ヴァイオリン(上)、ビオラ、チェロ(下)

ルドルフ・シュタイナーはこの取り組みに関して、交響曲のオーケストラオイリュトミーの構成の原則を与えました。まず中心点として、また意志衝動として打楽器が台の上に立ちました。管楽器は思考の力として周辺に向かって放射状に動き、周辺では弦楽器が感情の表現として動きました。ヘドウィヒ・ケーラーは楽器の特徴を腕で表現することを試みましたが、ルドルフ・シュタイナーはそれを認めませんでした。トーンオイリュトミーは見える歌であり、歌う要素はもっぱら腕が引き受けるから、というのが理由でした。楽器の特徴は、空間フォルムRaumformenにおける表現に委ねられるべきなのです。

中央の円がティンパニー

楽器のための空間フォルムを整える時には、イマジネーションから生まれた楽器の外的な形体から触発されるべきです。フルートの音色に関しては、ある特定の音楽作品に関して、特別な手の仕草のヒントが与えられました。

オーケストラ・フォルムの最終形

オーケストラオイリュトミーの原則が練習され、シュタイナーに見せた後、この原則は舞台公演と共に変化していきました。かつて円形であったものは今度は半円になり、ティンパニーは後方に下がりました。

訳:中谷三恵子

エレーナ・ツコリーは、当時シュトゥトガルト・オイリュトメウムの学生であり、ヘドウィヒ・ケーラーがルドルフ・シュタイナーに見せた交響曲の楽章を練習したグループにいました。ルドルフ・シュタイナーはこのオイリュトミーの上演後、オーケストラ作品をする際のオイリュトミーの基本フォルムを描きました。なおオリジナルのフォルムは残っていません。(中谷三恵子)

新しい運動芸術、オイリュトミーとは

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北米公演2005映像アーカイブ

2005年に開催した北米公演の動画映像をご覧ください。

北米公演「新世界より」第2楽章
北米公演「新世界より」第2楽章
北米公演「新世界より」第3楽章
北米公演「新世界より」第4楽章

※ 日本公演の演出は北米公演とは異なりますこと、予めお断りしておきます。